ほくほく日記

不定期で思ったことを書いてます。自分の思考の変遷が分かれば面白いと思ってます。

僕が生きる意味

こんにちは!ほーくです!

めちゃくちゃ久しぶりの更新になってしまいました…。

 

みなさんは元気に過ごされていますか??

僕はまあぼちぼちやってます。

 

今回はタイトルにもあるように生きる意味について考えてみました。

 

せっかくこの記事を開いてくださったので、僕の考えを見る前にご自身で己の生きる意味について考えてみて下さい。

 

 

難しいでしょうか?

それではみなさんお待ちかね(?)の僕の考えについて話していきたいと思います。

 

 

 

 

僕の生きる意味は

『自分が生きていた証をこの世に刻み込むため』

です。

 

 

何言っとんねん!ってなると思うので、説明したいと思います。

 

 

僕の中で生きていた証の定義とは、未来に生きる人たちに残る何かです。

例を挙げると、子供を産むことや自分の意思、学問的な発見など多岐に渡ります。

 

大事なのは未来に生きる人たちに投資することだと思っています。

 

それは人によって大小があると思います。

先ほどの例にもあったように、家庭を築くことのような比較的狭い範囲に投資したり、学問的な大発見のような比較的広い範囲に投資したりなど、投資できる範囲の大小ということです。

 

どちらにせよ、僕は素晴らしいことだと思います。

後世に語り継がれる、後世に投資をすることで人類が発展してきたと思うので、それをすることが僕の生きる意味です。

 

今のところどのようにしてこの世に生きていた証を刻み込むかは決まってないです。しかし、それの第一歩だと思っているのが、ボランティアです。

 

というのも、僕が定義した生きていた証は社会貢献に近いと思っています。子供を産み育てることは新たな世代をつくる(誰かの生きていた証を語り継ぐ人材を増やす)ことで、これは広い意味での社会貢献だと思います。

もちろん、自分が信じる道を誰かに説くことでより良い世界に導けたら、それは社会貢献になります。

学問的な大発見は言わずもがなです。

 

僕は

人生を賭けて 広義の 社会貢献をし続けたい

のだと思います。

 

それが冒頭に言った、自分が生きていた証をこの世に刻み込むこと、つまり僕が生きる意味だと思っています。

 

僕はこれができないのならいつ死んでも良いです。

そのような所に僕は生きていたくないし、そのようなことができない自分は生きている価値がないと思います。

 

現段階の僕は本当に一握りの人をやっと救う力を持てているかな(?)くらいの力しかないです。

 

これからたくさんの努力、挫折を味わって、最期には自分が満足する大きな生きていた証を残して死にたいです。

 

まとまりがなくなってしまいましたが、これが現段階での僕が生きる意味です。

 

みなさんの考えの足しになれば幸いです。

(もし、自分の生きる意味を共有してくれる方がいればコメントしてください。)