ほくほく日記

不定期で思ったことを書いてます。自分の思考の変遷が分かれば面白いと思ってます。

この世で生きるということ その1

こんにちは。ほーくです。

お久しぶりです!みなさん元気でしたか?

 

お久しぶりでする話ではないような気もしますが、『この世で生きる事とはどういう事か』考えたことはありますか?

 

僕はたま〜に考えています。

 

今のところ出た、はじめの結論は

『この世が汚い事、自分は既に汚れていることを自覚すること』

です。

 

皆さんは今までの経験の中で、この世が汚いということに薄々気付いていると思います。

 

身近な例だと、いじめや体罰、遠い(?)例だと殺人や強盗、強姦などもそうだと思います。

 

これはこの世の中が綺麗ではないから、人の心が綺麗ではないから起こることです。

(※心が綺麗とは何かということについては言及しないでおきます。)

 

ここまでは皆さん、納得していただけたかと思います。

 

 

では次に

『あなたもその汚い世界の住人で、多かれ少なかれ汚い、薄汚れた人間だ』

ということを弁えていますか?

 

 

『どういうつもりだ!俺、私は綺麗な心の持ち主だ!』と言ってくる人が出てきそうです。果たして本当にそうでしょうか?

 

これは綺麗な心とは何かにも通ずるところがありそうですが、いくつか具体例を挙げて説明したいと思います。

 

 

あなたは街でゴミを見かけたとき、ゴミの種類によらず、ゴミを拾いますか?

 

ほとんどの人は拾わないと思います。おそらく拾わない側の意見はこうです。

『汚いから拾いたくない。』『みんな拾っていない。』『気づかなかった。』

ひとつずつ見ていくことにしましょう。

 

まず、『汚いから拾いたくない。』『みんな拾っていない。』から。

これは確かにそうです。汚いですよね。でも、例えばプラスチックのゴミはずっとそこにあるわけではないですよね?

おそらく、あなたの代わりに清掃員の人やボランティアの人たちがゴミを拾ってくれています。

そう、あなたのしなかった"汚れた"仕事を誰かがやってくれています。

清掃員はそれが仕事かもしれませんが、そのような事をするボランティアの人たちがいるという事実は、あなたがその方々の善意を頼りに生きている。つまり、自分は汚れた仕事をせずに誰かに任せ、自分の汚い部分を見ないという汚い行為をしています。

 

 

つぎに『気づかなかった。』について。

確かに、本当に気が付かないときもあるでしょう。しかしそれは、『あなたにそれを見つける能力がなかった。』ということに他なりません。

 

いじめの話がわかりやすいと思います。(気付いていなくても気付いていたとしても)傍観者であるあなたを、被害者の人はどう思うでしょうか?それはあなたの心は薄汚れていると、被害者以外の周りの人間は全て汚くみえていると思います。そう、気付いていても気付いていなくても、あなたは周りから汚い人間だという意識を向けられている可能性があります。これはあなたが自分は綺麗な心の持ち主だという自信を削ぐ、致命的なものになります。

つまり、『気付かなかった。』からといって、あなたの心が綺麗である事にはならないということです。

 

そう、あなたは『あなたもその汚い世界の住人で、多かれ少なかれ汚い、薄汚れた人間』なのです。

 

以上のことから

この世で生きるということは

『この世が汚い事、自分は既に汚れていることを自覚すること』

だと僕は思っています。

 

今日はこの辺りにして、次回はこの先について話したいと思います。お楽しみに。