ほくほく日記

不定期で思ったことを書いてます。自分の思考の変遷が分かれば面白いと思ってます。

この世で生きるということ その2

こんにちは!ほーくです!

 

この記事では

この世で生きるということ その1 - ほくほく日記

の記事に引き続き、お話ししたいと思います。

 

前回の記事で、皆さんはこの世で生きることは

『この世が汚い事、自分は既に汚れていることを自覚すること』

だということを納得していただけたかと思います。

 

今回はその上でどのように生きるべきか、少なくとも僕はどのように生きたいかを記そうと思います。

 

はじめに、僕自身の保身のために言っておくと、僕は僕自身が心の綺麗な人間だとは思っていません。

自分が心の汚い人間だということを僕自身が受け止めきれてはいませんが、これはほとんどの人もそうだと思います。前回の記事を読み、僕、私は受け止めきれているんだという人はおそらく(というか間違いなく)思慮の浅い愚か者だと思います。

これは僕の単なる考えに過ぎませんが、受け止めきれてしまったら、この世で生きることは不可能だと思っています。

 

 

 

話が脱線したので、元に戻します。

 

 

生きるということは

『この世が汚い事、自分は既に汚れていることを自覚すること』

です。このことを多少、受け止めたとします。

 

その上で僕は

人間は綺麗に生きようとしなければならない

と思っています。

 

別に『この世は汚いんだ〜!』と喚きたいわけではないです。そんなのは厨二病を拗らせたイタい奴でしかないです。僕はこの2つの記事でそんなことを書きたいのではないのです。

 

 

少しまとめると、この世で生きるということは

『自分の住む世界と自分自身が汚いものであることをできる限り受け止めて、最大限、綺麗な行動をとること』

だと思っています。

 

 

綺麗に生きるとは何かについて述べないといけないとは思うのですが、あまりよく分からないです。

ここでは簡単な例を挙げて説明しようと思います。

 

 

例えばいじめについて。

僕も今この記事を読んでくれている人も、どんな対策を施しても、いじめは無くなることはないと思っています。

これがこの世の中は汚いということを自覚することです。

 

 

では無くなることはないから放っておく、無視しておいて良いのでしょうか。

皆さんがどうかは分かりませんが、僕は放置・無視してはいけないと強く思います。

 

この世の中から、そのようなことが少しでも無くなるような何かを講じないといけないと思います。

 

いじめ自体を無くすことができなくても、いじめられている人の心のケアになりそうなことをしなければならないと思います。

 

もし今後、僕の周りでそういう人を見かけたのだとしたら(僕との関係によりますが)僕は絶対に見捨てません。

 

何もしないのだとしたら、それは僕自身の死を意味します。

 

書いてみて、これが例になっているかわからなくなってきました。

 

まあとりあえず、この世で生きるということは

『自分の住む世界と自分自身が汚いものであることをできる限り受け止めて、最大限、綺麗な行動をとること』

だと僕は信じています。

 

 

皆さんにとって、この世で生きるということはどういうことでしょうか。

 

 

 

最後に余談ですが、少しお話をしたいと思います。

 

僕は人間が汚い動物だということをこの20年間で十分なくらい痛感しました。でも、その一方で、人間はとても優しくて綺麗で、力強い動物だということも痛感しました。

 

だから僕は、この記事を読んでくれた人に、綺麗な行動をして欲しいと思っています。別に世界から全ての戦争をなくせだとか、全ての差別をなくせみたいなことを言うつもりはありません。自分の周りで困っている人の話に耳を傾けてあげたり、道端にあるゴミを少し拾って帰ったり、財布にたくさんある小銭の一部を募金してみたり、そういうことをして欲しいです。

そして、次の世代に綺麗に生きようとすることが美徳であると伝えていってほしいと思います。

 

そしてそれこそが、この世で生きる人に課せられた責務だと思っています。

 

 

たった20年しか生きていない若造が生きるということについて語っても良いかはわかりません。僕が死ぬときにその答えを出せたら良いなと思います。

 

 

もし共感してくださるなら、自分の意見を言いたい方がいるのなら、Twitterで共有したり、この記事にコメントしてくださると幸いです。

この世で生きるということ その1

こんにちは。ほーくです。

お久しぶりです!みなさん元気でしたか?

 

お久しぶりでする話ではないような気もしますが、『この世で生きる事とはどういう事か』考えたことはありますか?

 

僕はたま〜に考えています。

 

今のところ出た、はじめの結論は

『この世が汚い事、自分は既に汚れていることを自覚すること』

です。

 

皆さんは今までの経験の中で、この世が汚いということに薄々気付いていると思います。

 

身近な例だと、いじめや体罰、遠い(?)例だと殺人や強盗、強姦などもそうだと思います。

 

これはこの世の中が綺麗ではないから、人の心が綺麗ではないから起こることです。

(※心が綺麗とは何かということについては言及しないでおきます。)

 

ここまでは皆さん、納得していただけたかと思います。

 

 

では次に

『あなたもその汚い世界の住人で、多かれ少なかれ汚い、薄汚れた人間だ』

ということを弁えていますか?

 

 

『どういうつもりだ!俺、私は綺麗な心の持ち主だ!』と言ってくる人が出てきそうです。果たして本当にそうでしょうか?

 

これは綺麗な心とは何かにも通ずるところがありそうですが、いくつか具体例を挙げて説明したいと思います。

 

 

あなたは街でゴミを見かけたとき、ゴミの種類によらず、ゴミを拾いますか?

 

ほとんどの人は拾わないと思います。おそらく拾わない側の意見はこうです。

『汚いから拾いたくない。』『みんな拾っていない。』『気づかなかった。』

ひとつずつ見ていくことにしましょう。

 

まず、『汚いから拾いたくない。』『みんな拾っていない。』から。

これは確かにそうです。汚いですよね。でも、例えばプラスチックのゴミはずっとそこにあるわけではないですよね?

おそらく、あなたの代わりに清掃員の人やボランティアの人たちがゴミを拾ってくれています。

そう、あなたのしなかった"汚れた"仕事を誰かがやってくれています。

清掃員はそれが仕事かもしれませんが、そのような事をするボランティアの人たちがいるという事実は、あなたがその方々の善意を頼りに生きている。つまり、自分は汚れた仕事をせずに誰かに任せ、自分の汚い部分を見ないという汚い行為をしています。

 

 

つぎに『気づかなかった。』について。

確かに、本当に気が付かないときもあるでしょう。しかしそれは、『あなたにそれを見つける能力がなかった。』ということに他なりません。

 

いじめの話がわかりやすいと思います。(気付いていなくても気付いていたとしても)傍観者であるあなたを、被害者の人はどう思うでしょうか?それはあなたの心は薄汚れていると、被害者以外の周りの人間は全て汚くみえていると思います。そう、気付いていても気付いていなくても、あなたは周りから汚い人間だという意識を向けられている可能性があります。これはあなたが自分は綺麗な心の持ち主だという自信を削ぐ、致命的なものになります。

つまり、『気付かなかった。』からといって、あなたの心が綺麗である事にはならないということです。

 

そう、あなたは『あなたもその汚い世界の住人で、多かれ少なかれ汚い、薄汚れた人間』なのです。

 

以上のことから

この世で生きるということは

『この世が汚い事、自分は既に汚れていることを自覚すること』

だと僕は思っています。

 

今日はこの辺りにして、次回はこの先について話したいと思います。お楽しみに。

 

 

僕が生きる意味

こんにちは!ほーくです!

めちゃくちゃ久しぶりの更新になってしまいました…。

 

みなさんは元気に過ごされていますか??

僕はまあぼちぼちやってます。

 

今回はタイトルにもあるように生きる意味について考えてみました。

 

せっかくこの記事を開いてくださったので、僕の考えを見る前にご自身で己の生きる意味について考えてみて下さい。

 

 

難しいでしょうか?

それではみなさんお待ちかね(?)の僕の考えについて話していきたいと思います。

 

 

 

 

僕の生きる意味は

『自分が生きていた証をこの世に刻み込むため』

です。

 

 

何言っとんねん!ってなると思うので、説明したいと思います。

 

 

僕の中で生きていた証の定義とは、未来に生きる人たちに残る何かです。

例を挙げると、子供を産むことや自分の意思、学問的な発見など多岐に渡ります。

 

大事なのは未来に生きる人たちに投資することだと思っています。

 

それは人によって大小があると思います。

先ほどの例にもあったように、家庭を築くことのような比較的狭い範囲に投資したり、学問的な大発見のような比較的広い範囲に投資したりなど、投資できる範囲の大小ということです。

 

どちらにせよ、僕は素晴らしいことだと思います。

後世に語り継がれる、後世に投資をすることで人類が発展してきたと思うので、それをすることが僕の生きる意味です。

 

今のところどのようにしてこの世に生きていた証を刻み込むかは決まってないです。しかし、それの第一歩だと思っているのが、ボランティアです。

 

というのも、僕が定義した生きていた証は社会貢献に近いと思っています。子供を産み育てることは新たな世代をつくる(誰かの生きていた証を語り継ぐ人材を増やす)ことで、これは広い意味での社会貢献だと思います。

もちろん、自分が信じる道を誰かに説くことでより良い世界に導けたら、それは社会貢献になります。

学問的な大発見は言わずもがなです。

 

僕は

人生を賭けて 広義の 社会貢献をし続けたい

のだと思います。

 

それが冒頭に言った、自分が生きていた証をこの世に刻み込むこと、つまり僕が生きる意味だと思っています。

 

僕はこれができないのならいつ死んでも良いです。

そのような所に僕は生きていたくないし、そのようなことができない自分は生きている価値がないと思います。

 

現段階の僕は本当に一握りの人をやっと救う力を持てているかな(?)くらいの力しかないです。

 

これからたくさんの努力、挫折を味わって、最期には自分が満足する大きな生きていた証を残して死にたいです。

 

まとまりがなくなってしまいましたが、これが現段階での僕が生きる意味です。

 

みなさんの考えの足しになれば幸いです。

(もし、自分の生きる意味を共有してくれる方がいればコメントしてください。)

 

 

 

最近、思ったこと。

こんばんは、ほーくです。

今回の記事は言葉が強いと思うので、まあ基本ブラウザバックしてください。

 

 

2つ言いたいことがあります。

 

 

1. 恋愛について

2. 生き方について

 

 

この2つは最近、(現時点での) 自分の考えが固まってきたので話をまとめようと思います。

 

 

1. 恋愛について

 これは最近気付いたことなんですが、僕は (ほんとに好きになった) 女の子と付き合うのが怖い。

僕の数少ない女性経験から帰納的に出される女性の定義が『ちょっと良さそうだったら流れでヤってしまう (3年以上付き合っててもそうでなくても) 性欲バカ』です*1

なんてひどい生き物なんだ。

数か月、付き合った人くらいならまだしも3年以上付き合っててもダメなんですから、もうひどいもんです。僕にも原因があったとは思うんですけどね。

そのような経験から、本当に好きな人でも『そういう一面があるのではないか?』と思ってしまうんですよね。

そんな人は少ないと頭では分かっているけど、どうしてもそう思ってしまいます。

 

 あと、僕とは関係ないんですが『寂しくて浮気しちゃった。』みたいなやつ、あれ嫌いですね。

浮気するだけした後、『だって彼氏が (彼女が) ○○だったんだもん…。』みたいなの、あれなんですか?

自分が悪いことをしている自覚をもって浮気しろよ、そしてその後も『自分は相手を裏切って性欲に負けたゴミです』と思いながら生きろよ。と思います。

その覚悟もないのに相手の文句をたらたらと言うなと思います*2

 

 あー、あとあれだ。世間一般の人は他人の恋愛に興味があるものなんでしょうか?

恋愛相談させて!とお願いされたわけでもないのに自分から首を突っ込むの、僕には全く理解できないです(僕が面白さを理解できていないだけかも)。

僕はそこまで他人に対して“お人よし”ではないし、優しくもないです。どうでも良すぎますね…。

まあ大半の人は面白そうな話題があるから首を突っ込んでニヤニヤしているだけだと思いますが*3

このことからわかるのは、僕は自分と関係ないことに対して全くの無関心なんだなということです。まあそれでいいと思ってます。僕、ほかにやりたいことあるし。

 

2. 生き方について

 僕は行動に筋が通っている人、自分の価値観を持っていてそれを大切にしている人が大好きだし、僕自身そうでありたいと常々思っています。

 僕は面白い人生が歩めたらそれでいいので、すべての選択を面白そうか面白くなさそうかで決めてきたつもりです*4。ボランティアをしていると他人の幸せのために動いている良い人と見られがちですが、僕は楽しいし、子供たちと遊ぶのが面白いからやっているだけです。

例えば、「俺は女遊びがしたいぜ!だから彼女を作らずに女と遊びまくるぜ!それには彼女という存在は邪魔だから都合の良い女を探すぜ!」みたいな人も好きです。理由が納得できるし、有言実行って感じでカッコいいと思っています。他人に経験人数を自慢していたらダサいかもしれませんが。

このように僕は筋が通っていたらどんな人でも好きです。

 

 あとは自分の価値観を持っている人が大好きです。みなさんは自分が大切にしていることはありますか?

 僕は他人に流されずに自分が美しいと思ったことを美しいと言いたいです。あとは他の人が美しいと感じたものを素直に受け止められるようになりたいし、そうしているつもりです。

 しばしば自分の考えが正しいんだ!と思い、みんなに布教する人や布教するだけに留まらず、強制する人を見かけます。

僕はナンセンスだなあと思うんです。

 

もしその思想や価値観が誰かの心に響いたのだとしたら、押し付けることなく、その人は自然にその考えや価値観に賛同してくれるはずです。

現に僕も、大学で出会った友達の勉強に対する価値観に感銘を受けたので、それを気に入ってそれを信じています。本当に心に響く思想や価値観ならわざわざ押し付けなくても、ある程度発信するだけで自ずと人が集まってくると僕は思います。

僕は人に自分の意見を押し付けようとは思わないし、僕の意見に賛同してくれ!なんてことは到底思いませんが、僕の信じているもの、美しいと感じているものを他者に素直に伝えられる強さを持ちたいと思っています。

 

以上2つの項目が僕が最近、思ったことでした。

 

次の記事も楽しみにしておいてください。

*1:まあ、僕も性欲バカみたいにありますけどね。浮気はしないですよ。

*2:僕の元カノはこの辺をわきまえていたので僕と再会したときに『私は謝る権利もない。』と言っていました。ちゃんとわかってるなと思いました。

*3:他人の恋愛話が面白いというのなかなか終わってると思います。自分の人生楽しくないのかな?これ、別れるとか復縁とかいう話題だけじゃなくてのろけ話とかに対しても思ってます。

*4:大学受験はその限りでない。

研究室行ったよ

こんにちは、お久しぶりです!ほーくです!
 
大学生の皆さんは夏休み、楽しんでますか??
すでに半分終わっちゃってるので、充実させていきたいですね…。
 
とりあえず、僕の近況報告を。
この1週間で2つの研究室に訪問しました。
 
いや〜、なんかすごくカッコよかった!!
 
世界で1番を目指している場所という感じがひしひしと伝わってきました。
もう僕はこの研究室に行くこと確定です。ええ。
 
物性物理の実験の研究室なのですが、最近できた研究室でとても綺麗だし、先生も研究が大好きなんだということが伝わってきます!
僕の貴重な時間を費やすのならこの研究室がいいと思っています。
 
そうと決まれば勉強するのみ!
1年で落としまくった単位を回収していく作業がこれから始まります笑
(辛いなぁ…。)
 
あとは自分の興味が無くならないような努力を積み重ねないといけません。このためには先生の研究室に何度も通ってお話を聞いたり、先輩たちと仲良くなりたいと思います。
 
 
これから勉強する理由ができたので精一杯頑張ろうと思います!
 
 
 
 
 
 

いらないものを無くしていく。

こんにちは、ほーくです。

 

最近、夏バテ(?)+ストレスで体調を崩してしまって、学校に行けてませんでした。

 

そこで自分の性格(?)について思ったことがありました。

 

僕は『不必要なもの』が自分の周りにあると集中力が阻害されすぎるということです。

 

そこで、僕の中で1番いらないものと言えば『スマホ』です。

ということでスマホをそろそろ封印しようかなと思っています。

 

一旦、1週間ほど触らないでおきたいので中学生のときと同じように箱にしまってテープでぐるぐるにしてみます。

 

僕の貴重な20代が携帯を触ることになるのが嫌なので!

 

というわけで、これからはパソコンからみなさんにブログを届けようと思います。

『金魚王国の崩壊』を読んだ。

こんにちは、ほーくです。

 

今日は初めて本を読んだ感想を投稿しようと思います。

僕が今回読んだのは『金魚王国の崩壊』というマンガです。

 

(少し読みにくいですが、絵をタップすると次のページへ移動します。

また、絵の横にある数字が巻数になっています。)

 

まずはこの漫画を読んでみてください。

 

 

この物語の主人公であるミカゼちゃんは食べるという行為から人間の(動物の?)残酷さなどを感じとり、『自分はどう生きるか』を考えたのだと思います。

 

みなさんは

『人間って残酷だな。』

と感じたことはありますか?

 

これを身をもって経験した人は恐らく

『自分はどう生きたいか』

という問いに出会っているかと思います。

 

 

僕は小学6年生の時に初めて

『人間って残酷だな。』

と感じました。

 

それまでは(自分で言うのもなんですが)優等生って感じでした。先生の言うことは絶対なんだと信じていました。

 

その"常識"が崩されたのが小6のときでした。

(ここでは詳しく触れませんが(いい思い出ではないので信頼できる人にしか話していない))

 

その"常識"が崩された時から僕は

『自分はどう生きるか、どう生きたいか』

について考えています。

 

今まで生きてきてわかったのは

『このように生きたい』というより『このようには生きたくない』

の方が多いです。

 

確かに、中学生の時に塾で出会った恩師のように生きたいと思うこともありました。

 

ですが、何か嫌なことをされて

自分はこんな人間にはなりたくない

と思ったことの方が多いです。

 

いくつかあるので僕がなりたくない人間を例を挙げると

 

  • 人の話を最後まで聞けない
  • 自分が正しいと思っている
  • 自分の機嫌を自分で取れない
  • いじり方が下手かつ周りの笑いも取れない
  • 自分の意見や思想を押し付けてくる
  • 社会の常識が正しいと思っている

etc

 

例を挙げるとキリがないくらいには(自戒を含め)たくさんあります。

 

 

人の話を最後まで聞けない

『これは自分やってないで!』

と思っているコミュ障の方がいそうですが、自分が気持ちよく喋れている時は相手が聞き上手な場合がほとんどなので、そもそも相手の話を聞いていないと言うことはないですか?

僕も偉そうなことを言える立場ではないのですが。

 

もうひとつ大事なことが、相手の意見をとりあえず理解しようと試みていなければ聞いていないのと僕は同じだと思います。

 

相手の話を聞いて真の意味でのコミュ強になりたいものです。

 

 

自分が正しいと思っている

なぜ自分が正しいと思えるのでしょうか。僕は自分の考えが正しいなんて到底思えない。たかだか20年生きただけだし。

 

 

自分の機嫌を自分で取れない

取れよ。人に当たるな。もうこれ以上でもこれ以下でもないでしょう。大体、この世の不利益は当人の能力不足なのですから、自分が選んだことで他の人に当たるのは本当にお門違いです。今までまあまあな人と関わってきましたが、こういう人は意外に多いです。僕は塞ぎ込んでしまうことはあるけど、人に当たることはないです、一昔前は物に当たっていましたけど😐

 

 

いじり方が下手かつ周りの笑いも取れない

これいました、高校生の時に。もう救いようもないし、助けられるくらい素直な年齢ではないのでもうマジで終わってました。僕は良い人ではないし、綺麗な人間ではないので、『あとで後悔するんやろなぁ。』と思いながら(その人から)いじられていました。

 

僕はいじられキャラなのでよくいじられていますが、本当に馬鹿にしているなと感じることは多々あります。僕は馬鹿にされていても気付いていないふりをします。僕のことを馬鹿にしている人は僕が気付いていないと思ってると思います。

一方で僕は(僕が気付いているということを)気付いていないんだろうなと馬鹿にしながら生きてきました。まあそんなものです。そこまで頭の回転が悪いわけではないです。んで、大体それしてくる人の方が(会話においては)頭の回転遅いことの方が多いと感じています。

 

 

自分の意見や思想を押し付けてくる

押し付けなくても、本当にかっこいい意見や思想なら自ずといろんな人が共感してくれるはずです。他人の価値を自分のものさしで測り、それを相手に押し付けるのは間違っています。その人の価値はその人自身が決めるもので周りが決めて良いものではないです。僕も押し付けないように気をつけないと。

 

 
社会の常識が正しいと思っている

真面目な人なんだと思います。その人の生き方が間違ってるとかは思わないし、僕がこのように生きたくないだけです。社会の常識ってたぶん、コロコロ変わるものだと思います。その中で本当に大切なものを見抜く、見抜けるような人になりたいなと思います。

 

 

 

本の感想書いてたはずだった…!!

この本を読んでさっきまで書いてたようなことを思いました。

 

僕含め、今生きている人は程度の差はあれど心が汚いと思っています。本当に心がきれいな人は、この歳まで生きて来れるはずがないからです。みんなわかっててもわからないふりをしていたり、気づくことができなかったりします。それが悪いことだとは思いませんが、マンガの主人公であるミカゼちゃんのような子が1人でも多く(きれいな心のままで)大人になれるような社会を目指さなければいけないと僕は思いました。

 

今この記事を見てくださっている人も、ミカゼちゃんから見れば心が薄汚れている人が多いと思います。